2005年10月24日

魔法の品の持ち主は?(『奥さまの耳飾り』)

 耳につける飾り――耳飾りでしょう。魔法の品としては首飾りや指輪のほうが有名のように感じます。耳飾りってはっと気がつくとなくしてしまったりするものですから。
 わたしも10代のころ、耳飾りとは言いませんでしたが、ピアスにとても憧れました。当時のバイト先のお姉さんがダイヤのピアスをしていたのです。まだあまりピアスが主流でなかったので(地方だったからもあるでしょうが)、ごつごつした留め金がない耳飾りというのはとてもすっきりきれいに見えました。わたしもああいうのをしたら……なんて思っては眺めていたので、「ピアスしてみたら?」とお姉さんが勧めてくれるのです。やっぱり、痛そうだし、怖いような気もする。家族には一応「本当に開けるの?」と心配されました。当時は「体に穴を開けるなんて」という意識も多かったものです。あまり気にせず、紹介されたお店(輸入物のショップ? ピアスのほかに外国製のバックとか靴売っていたけどどう考えても高校生のわたし向けの店ではなかったです)で開けてもらいました。なぜか両耳ではなく片耳に開けたかったので、片方に二つ開けました。今思うとあまりおしゃれでもないですね。(その数年後にもう片方にもう一つ開けました。やっぱりバランスが悪かったのです。)
 最初は本当にピアスをしていることが自分の意思の表れのように気に入っていました。そんな当時を思い出させたのがこの物語、『奥さまの耳飾り』
 

 おやしきの奥さまがなくされた耳飾り、それはうすもも色の大きな真珠でできていました。女中の小夜はそのなくされた片方をお庭のくちなしの木の下で見つけます。
 こんなことをしてはいけない。すぐにとどけなけりゃいけない。自分で自分にそういいきかせながら、それでもたった一度、耳飾りというものを、身につけてみたいという思いに、小夜は、うちかつことができませんでした。
(『安房直子コレクション6 世界の果ての国へ』安房直子作 偕成社 P92〜93)

 その小夜がどうしても見につけて見たかった耳飾り、10代のころの自分と重なって見えました。子どものおもちゃの指輪なんかで遊んでいたころとは違って、本物の宝石のついた飾りを自分が身につけたら、どんな気分がするだろう。自分が何か違って見えるようになるのではないかという気持ちがありました。だから、本物のピアスができるのなら、耳が痛いのなんてどうにでもなるだろうし、きっとそのピアスを見たら家族だっていいなあと思うに違いない、そんなことを考えていました。当時、ピアスを買うと言えば本物の金でできているとか、ちょっとした小さい宝石がついたものだという意識があったのです。耳に直接挿すのだから、本物の金じゃないとかぶれちゃうんだよ、って教えられて。今でこそ100円ショップにも売っているアクセサリーですけど。
 そんなわけで、耳飾りの魅力に引き付けられた小夜の様子を読むと、ピアスに憧れたわたし自身を思い出すのです。
 ここからネタばれ感想です。↓マウスを置くと感想がでます。
 

 小夜がつけた品物は魔法の耳飾りだった、と言ってもよいでしょう。ただ、それは小夜のためのものではなかった、という物語です。安房さんの世界は魔法の品物が出てくるのですが、それが主人公に世俗的な幸せを約束してくれるものではありません。恐ろしい異界へのいざないである場合も多く、その魔法の品物に秘められた力を理解したときには遅く、ということもあるのです。この耳飾りは小夜のためのものではありませんでした。そのことが苦しく、切なく響きます。奥さまのための魔法の品だった、しかもなかなか姿を見せない夫がくれたもの。その夫と奥さまを結びつけるもの、それを知らされたときの気持ち――そして、自分もまた帰ることはできないのかもしれない、という途方にくれたため息。
「魔法というのは、悲しいものだ」と奥さまの夫は言います。安房さんの世界に出てくる魔法は悲しいものを感じます。魔法は万能ではない。魔法があればすべてうまくいくわけではない。グリムなどでかかった魔法が解けるとき、それは幸福をもたらします。しかし、魔法が解ける悲しみもまたあるのだ――それは、現実で感じる儚さを安房さんが描いているからなのかもしれません。
 奥さまの悲しみは夫に逢えなくなった悲しみなのでしょうか。結末は重いものを小夜と読者に与えます。でも、小夜が耳飾りをつけたことで奥さまも小夜も失ったものがあります。失ってしまうこと、真珠という宝石の形をとっていますが、、ただの飾りではないのです。夫との出会いであり思い出であり、会うための手段であり、様々な思いや記憶が込められた宝物でした。小夜のための魔法の品ではなかった――この事実が重く突きつけます。小夜は魔法を消しさりし者になってしまったのです。このときの気持ち、何度考えても心に刺さります。
 この真珠の耳飾りにまつわる物語は普通のおとぎ話のその後を語っているようで、気になってしかたないお話でした。普通だったら奥さまと夫の出会い、幸福が語られてもよさそうなのに、物語の焦点が違うのが印象的でした。


 ちなみに耳飾りをしている奥さまはいつもうす青の着物と帯を身につけていらっしゃる和装な方。洋服なんて一度もめしたことがない、という描写があり、その青い着物にうすもも色の真珠というのがなんとも素敵。和装に大粒の真珠、わたしもちょっと試してみたい。
 物語では耳飾りをなくしたところからはじまりましたが、あれほど憧れていたピアス、今はあまりしなくなりました。理由は娘が小さかったころ気になって仕方ないらしく、耳を引っ張ったりしたから。そんな娘は最近おもちゃのイヤリングをつけてごきげんです。
 奥さまではないけど、ピアスって本当によくなくなるものです。あんなに集めていたこともあったのに、気がつくと片方だけとか、キャッチがなくて、とかそんなものばかりです。なくなりやすさなんかも実感しているだけに、この物語はピアスをしている女の子には気持ちがわかるかもしれません。(あ、もう女の子って年じゃないんですけどね)
posted by kmy at 11:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 安房直子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
わたしは未だに憧れてます。ピアス。
耳たぶが厚いから、いつまでもじんじんして痛いわよ、と脅かされて、そのままです。近所のお医者さんで開けてもらおうと、金額まで尋ねておいたのに(笑)。

さて、安房直子さん。
大人になってから読むと、また、ぐっと引き込まれますね。
とはいえ、わたしはせいぜい2〜3冊しか読んだ記憶がないのですが。
女の子の気持ちをよく分かっていても、なかなかそれを言い表す言葉に巡り会うことはできませんよね。

kmyさんの文章を読んでいて、またピアス熱が出そうです。
Posted by ヤヤー at 2005年10月24日 22:06
はじめのうちはとても熱心にピアスも選んでいましたが、子どもが生まれてからはさっぱりです。やらないでいると、つるっときれいな耳もいいなあと思ってしまったりします。
久しぶりに新しいピアスが欲しくなりました。
安房直子さんの本は子どものころから好きですが、今読んでも惹き込まれる世界があります。女の子なら惹かれる様々な魔法の品物が魅力です。布とか、飾りとか、わたしは食べもの大いに惹かれますが。

ヤヤーさんのイメージは和服が似合うような気がします。(ブログを読んでいると勝手に想像してしまいます)
Posted by kmy at 2005年10月25日 15:24
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