2008年02月02日

『階段の悪夢―短篇集』

 ブッアーティの短編集。これまで読んだ短編よりももっとずっと短いものが多く収録されています。ひとつのタイトルの中にいくつかの小話がまとめられたものも多く、数行で終わる物語もあります。この短さの中では語られること、語られなかったことがうまく対比をなして、読者に「それは何だったのだろう」という想像をかきたてるのですが、だいたいにおいて「それ」は何かしら不安の寓意のように感じます。

488611301X階段の悪夢―短篇集
ディーノ・ブッツァーティ
図書新聞 1992-06

by G-Tools

 どれも短いので、どういう話かというを書いてしまうと面白くなくなるものばかりです。「都市の些事」「モザイク」などはある都市でのちょっとしたエピソードのようで、作り物くさくない雰囲気を感じ、で、実際のところはよくわからないのだけど、こういうことがあるんだ、あったんだという印象です。ありそうな、本当のような、それはいったいなんだろう?というような、感じを味わえます。

 「今風の楽しみ」の中の「ハイジャッカー」は笑えます。ハイジャッカーという行為が楽しみとして行われるようになり、飛行機のみならずあらゆる場面で行われているとうレポートのようなお話。たとえばデパートで、コンサートでハイジャックされたら?という。
 
 「チクタク」「年老いた非合法活動家たち」人間は今生きている、しかし永遠ではないということを思い起こさせ、「イカルス」「象皮病」は人間文明の行き着く終焉のようなことを感じさせます。こういうものが好みです。

 「変化」の中の「友人への手紙」という作品のラストです。
世界は平穏になったというか、一種の昏睡状態に落ち込み、陰気な静寂に呑まれてしまった。もはや無秩序はない、もはや笑い声、快活さ、熱狂はない、もはや激昂、騒音、暴力、抗議、造反、破壊活動、闘争はない、悩みごとすらもないのだから(ただ、依然として恐怖はあると言っておいたほうがいい、ただ、ぜんぜん別の種類の恐怖だけれど)。
P64

 生きているというのはいつか死ぬということで、それをこの便利さや個人の楽しみを享受出来る現代社会でもやはり誰にでも死は訪れる。そして文明も停滞する時代がくるかもしれない。いつまでも、というのはありえないのに、このままでいたいと思うその一瞬の中に感じる不安を呼び覚ますような、そこに惹きつけられます。

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posted by kmy at 15:58| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリア&フランス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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