2008年01月17日

本という「形」

 新風舎の民事再生法手続きのニュース、気になっていました。自分の本が書店に並び、誰かが買って読んでくれるかもしれない。そういう希望や夢。お金をかけて「形」にしたら、夢が叶うかもしれない。有名な作家も出している出版社。共同出版から出たベストセラー。そういうものが入り混じって、複雑な幻想を作り上げていたと感じます。
 でも、その出版に至るやり方は、本当にいい内容の本だからというのではなく、誰でもかれでも本にしてと持ちかけていたらしいということになれば、そこから出版された本に対して一気に不信感が生まれてしまいます。内容がよくて出版した本は本当にあるの?って。

 この出版社は有名作家の書いた初期の絶版本なども出版していました(谷川俊太郎とか栗本薫とか)。クレヨン王国の福永令三の本も見たことがありますし、コンテストに関わっていました。名の知れた作家の本も出しているのだから、結構まともな出版社なのかも、と思った方が多いのも当然だと思います。でも、これは素人作家を釣るための宣伝だっただけのように感じられてしまいます。埋もれさせておくのは勿体ない、というのは広告・宣伝に利用できるネームバリューだったからなのかも。信じるに足るイメージは作り上げられていたのだと感じています。

 有名作家の作品も、コンテストで賞を取った作品も、ただ共同出版を持ちかけられて出版された作品も、こうした騒動で一緒くたになって「新風舎の本」となってしまったように感じられます。本を出したいという夢も、いい本を読みたいという夢も、この出版社では叶わなくなったように思えて……。残念なことです。いい本を出したいという意図は出版社に少しでもあったのでしょうか。出版という「形」だけが目的だったのでしょうか。「書店に並ばない」という苦情もありましたが、新風舎の本はアマゾンで買うことができます。中身検索もついています。書店に並んでいても売れるかどうかはわからない。でも、こうしたネット書店では買うことができ、流通させているのだから、ある意味全国にむけて販売はしているといえるような気がいます。しかし「認められて出版した」と思いたいのが心情。「お金を払えば本になっていた」というのが実情。売れる本を送り出す商業出版と、誰もが本の形に出来るという自費出版(共同出版)との線引きを曖昧にした悲劇なのでしょう。自費で製本して売るより、なんとなくプロの作家に近づいたようなそういう幻想。それを売りにしていたのでしょうね。新風舎から本出しました、と言うのと、自分で本を作ってみました、というのとは世間的にもイメージが違いますから。


 しかし、実際に身近で新風舎の本を出された方が確かいたなあと思ってその方を思い浮かべると、詐欺の被害者には思いたくないのです。想いをこめて書かれた作品、それが本になって身近な人に見てもらいたいという夢は叶っていると思います。回りの人も楽しんで見ていました。それにアマゾンでも買えると思うと、やっぱり嬉しいかもしれない(売れるかどうかは別にして)。

 共同出版をした著者にとっての大きなダメージは「あなたの作品は素晴らしい」「入選はしなかったけど惜しい」という言葉が嘘だった(かもしれない)ということではないでしょうか。自分が認められて出版するのだということはすべて虚構でしかなかった、というのが一番の被害ではないかと。飛ぶように売れると思っていた方ばかりではないはずです。作品が認められたということの喜びが大きかったのではないかと思います。「選ばれて」本の形になったのだと思いたいけれども、自分の本を出すことで意味があると思いたいけど、でもそうじゃなかったとしたら? 「自分は特別選ばれた」という人間心理。今こういう機会がある、それを逃したらこんなことはもう出来ないかもしれないという気持ち。そういうのはなんとなく分かる気がします。実際に怪しいかどうか確かめたり、情報を求めたりはすると思うのですが、「千載一遇の機会かも」と思ってしまうかもしれません。出来上がった本が売れる・売れないにしても本と言う形を見てみたいと思うかもしれません。そういう空想が入り混じっていたように感じるのです。

water-3.gif

 本になるということは全然特別なことではないのかもしれません。読まれなければただの紙の束なのだから。


参考記事
「新風舎問題」と「素人と専門家の深すぎる溝」
自費出版した本がなぜ書店に並ばないか
書店流通型自費出版 初級講座


posted by kmy at 14:35| Comment(5) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
う〜ん、今回のテーマは・・・。
まとまった言葉にするまでしばし時間がかかりました。
というのも、私がもしかしたら被害者になっていたかもしれないからなのですが・・・。
実は新風舎が主催するあるコンテストに一年程前応募したのです。
応募した作品は、私が本業として取り組んでいたものではなく、そのいわば副産物。
その時の気持ちは、遊び半分、「でも、ひょっとしたら、ひょっとするかも・・」なんて、素人の図々しさから来る期待も半分ありました。
結果は当然落選!でも、エクスキューズがついていたのですね。
「あなたの作品は今回残念ながら選に漏れましたが、私個人としては非常に興味を抱いています。ぜひ一度お会いしたく云々・・」
作品の丁寧な批評も添えられていました。
主人からは「向こうも商売だからな」と冷静なアドバイスをされました。
「手法としては面白いかもしれないけど、技術的に言わせてもらうと出版に耐えられるものではないと思うよ」と。
その点に関しては自分でも重々承知していたので、結局自費出版のお話はお断りしました。
その後も企画書が送られてきたり、電話がかかってきたりしましたが、さほどしつこいものではありませんでした。その頃になると、きわめて冷静でしたが、一瞬「私、ものになるかも・・・」と思ったのも確かです。
でも、例えすべてが“儲ける為”だったとしても、その対応は丁寧で誠実なものだったと思えるのです。だから、あの事件が報道された時も、出版社側の全面的な落ち度とは考えにくかったです。結構面白い企画もしていたし、不振な出版業界にあって、頑張ってるじゃん!と思っていたのですが、ちょっと欲張りすぎたのか?
最初の志は間違っていなかった気がします・・・。

なんだかおかしなコメントになってしまいました。
今年も「雨降り木曜日」大いに期待しております!!!
Posted by Helenaヘレナ at 2008年01月18日 17:27
ヘレナさん♪
新風舎の本について、何だかすっきりとしない感があって、自分なりに考えてみたのです。
出版側に「悪意」があったと感じられる部分は多々ありますが、わたしもヘレナさんのコメントにあるように最初の志は間違っていなかったように思います。
実際、出版してみないとどの本が売れるかわからないし、有名作家の本でもこれはいまひとつというのだってあります。巨額の宣伝費をかけても面白くない商業出版の本だっていくらでもあるわけです。

無名の作家が読まれるはずないという意見はもっともですが、こうした無名の作家としてでも「本を流通させる」ことができるというのはある意味夢のある商売だったとは思っているのです。
ただ、コンテストで入賞を逃したけども本にしてみたらという客寄せに問題があったのだと感じます。誰でも本にするように勧めたという「嘘」に憤っています。

ヘレナさんも作品を書かれていたのですね。
こういうときに一歩踏み出すかという選択は本人が考え抜いて出した結果だと思うので、本当に悩む場面だと思います。
わたし自身、記事を本に載せていただいたことがありますが、ここでやらないのは簡単だけど、自分の出来る限りのものを仕上げてみるのはいいことではないかと切実に悩みました。囲み記事程度でも悩むのですから、「本」だったらましてと思います。
出版を決めた著者も相当な決意があったと感じます。「だまされた」「そんなうまい話はない」「認識が甘い」と著者を責めるのも、と思ってしまいます。

結局スポンサーが見つからず、倒産ということになったようですが、自費出版でも商業出版でもよいものは残ると思っています。いい形でいい本が出てくるように願うばかりです。
Posted by kmy at 2008年01月19日 14:28
kmyさん、実は わたしも去年コンテストに出したものは、新風社のポストカードブック大賞というものでした。
自分の庭に育てた花は、ブログを通じてあたたかい思いが加わって、それにエピソードまで拝借して みるみるイメージがふくらんでいったので、自分でぞくぞくするほど楽しい思いをしました。
結果は落選でしたが、やはり、後から出版をすすめるお手紙や電話はいただきました。
わたしの場合、本を売りたいという気はさらさらなく、本の形にできるのなら という軽い気持ちだったので、自分で百万以上のお金を出して 出版にこぎつけるなんてことは、はなから却下でした。
でも、自分で必死に作品に仕上げられたのは、こういうコンテストがあったおかげだと思っています。
ただ、わたしのブログ ココログには、ココログ出版といって、本の形にすることも可能なので、1冊2冊くらい自費出版はしてみたい気はあるんですよ。

Posted by noel at 2008年01月19日 22:11
わたしがこの事件を知ったのはこちらの記事が最初でした。↓
http://d.hatena.ne.jp/kazetabi/20080108/1199785970

結局お金儲けかぁ。と思ったこともたしかです。
ブログを始めた頃にコメントを頂いた方がやはり新風社から絵本を出版された方で、ちゃんと認められて出版されるひともいるということを知ってもいたので、「えぇ?」という感じでもありました。

本という形に憧れがないとはわたしも言えません。
いえむしろ恋い焦がれていると言ったほうがよいのかも。
ひとの夢を食い物にするのは許せないけれども、自分自身ももっと冷静になって、批判的に自己を見つめる作業が必要なのだと思いました。
Posted by ヤヤー at 2008年01月19日 23:10
noelさん♪
新風舎のことは、なんだか凄く気にかかっていました。その「本の形にする」一押しに励まされたというか、今やってみようというその挑戦意識のようなものを持ちえた企画だったと思います。
だからこそ、いい形で本になってほしかったなあって。
こうしたコンテストがすべて企業側の利益追求の手段だけにすぎないということになれば、自分を試してみようという気持ちすら薄らいでしまう気がします。
目標になるものを見出せること、それが嘘偽りではないものとして機能してほしいと思います。

小部数でも本の形にまとめたいものってありますよね。わたしも製本には興味がありつつも、不器用なのでいまだ実現していません。
わたしは植物を育てるのが向いていないので、写真を拝見しつつ楽しませていただいています。
自分自身の記録、記念として形に残すというのはとても素敵なことだと思います。



ヤヤーさん♪
一度話題になると、すべてひっくるめて悪いように思われるのは残念だと感じました。
きっといい作品もあるのだと思いますし、納得づくで本にした方も多いと思います。
本になったというそのことが重要だという方が多くいると思いますし、その本を楽しまれている方も多くいると思うのです。
本への憧れというのは確かにあります。
売れるかどうかは出してみなくてはわからないし、形にしてみたいという人も確かにいるわけだから、その折り合いをつけるかということだとは思いますが、なかなかすっきりした感じがしません。
一部で訴えた方もいましたから、そういう不信が積み重なった結果、という感があります。
Posted by kmy at 2008年01月20日 15:56
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。