2007年11月25日

11月も半ば過ぎ、雑感いろいろ

 11月、霜が降りるようになって、冬に向けての変化が見られる時期。その冬支度が何だか面倒で、たまにまだ暖かいと思えば急に冷え込んで、どっちつかずでやる気がおきません。

 この半端な気候がなんだか漠然とした不安感につながります。些細なことがきっかけになって一瞬で崩壊してしまう「バリヴェルナ壮の崩壊」のようなことが起こるような不安感。

 前出の「ダンシング・オン・エア」を読んでいたら考えたことですが、自分が誰かに「こうしてほしい、こうなってほしい」と思っていても、その誰かが考えていることはまったく違うことかもしれない。自分の規準で正しくとも、誰かの規準では違うかもしれない。誰かに何かをしてもらうこと、誰かに変わってもらうことは、誰かから自分が変わるかどうかと同じくらい難しいことなのでしょう。いろいろな変化に対処しながら生きていくのは、結構大変なのだと思う。いつまでたっても「慣れる」ということがないように思うのです。

 ヴォルデモートは不死を望んだけど、ずっとずっと生き続けていくというのはこの「慣れる」ことの連続かも、と思ったりするのです。いつの間にか慣れる以上のものになっているのでしょうか。
 そんなことを考えたのも、先日ボランティアで特養老ホームのお掃除に行きました。ずっと寝ている方もいました。静かな境地なのかもしれません。年中暖かく、ストレスや争いもきっと少なく。ふと「指輪物語」のエルフ族を思い出しました。いろいろ考えさせられる場所でした。

 今年、という年も残すところあとわずか。毎日やり過ごして「今日も一日が終わった」というほっとした気持ちですごしてばかりではなく、少しは攻めの姿勢でやらなくては、と思う11月半ば過ぎ、でした。



posted by kmy at 13:43| Comment(9) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
日が短くなって、ますます追われているような気になってしまう季節ですよね。それに、ものを考えるにもよいせいか、あらぬ心配までしてしまってるのでしょうか。
「バリヴェルナ壮の崩壊」も、壊れてしまって全てが終わるのではなくて、そのあとも不安な毎日が続くという物語でした。あぁ、わたしも追われています。積ん読本もなかなか崩せないものです。

ひとを変えるよりも自分が変われとはよく言われることですが、それってけっこう難しい。
でも自分であり続けるためには、変わらないといけないんですよね。自分が壊れてしまわないためには。
それに、変化は急に訪れるとは限らないし、ゆるゆるとした流れの中で、自分も、誰かも、徐々に「違う自分」になって行くのではないでしょうか…。

秋から冬へと移り変わるこの時期、意識して行動することもたいせつだなぁ、とkmyさんの文章を読んで思いました。
Posted by ヤヤー at 2007年11月25日 21:59
ヤヤーさん、久しぶりの記事にコメントをありがとうございます。
何だかこの季節、やる気があまり起きません。
変化しつつあるこの時期に、変化させる、変化するというのが何だかうまくあっていない感じです。
不安というものは正体がつかめないだけに、うまく取り払われずにいます。

積読本、年内にと思うものの、減りませんね〜。
ヤヤーさんのコメントで元気いただきました♪
Posted by kmy at 2007年11月26日 15:46
先日幼なじみから手紙がきました。手紙には「四十にもなればもっと図太くなると思っていたのに 相変わらず些細なことにくよくよし 中学生のように人間関係に悩んでいます」と書かれていました。

本当に私たちはいくつになっても昔考えていた「大人」にはなかなか成ることができませんね!

でもいくつになっても慣れないでいること、 季節の移ろいを心で受け止めてしまうようなナイーブさは 読書の喜びを知っている者には 欠かせないものだと思います。

本を読むことは 自分の物語りを捜すこと
Posted by めぐりん at 2007年11月26日 19:36
お久しぶりです。先日幼なじみから手紙がきました。手紙には「四十にもなればもっと図太くなると思っていたのに 相変わらず些細なことにくよくよし 中学生のように人間関係に悩んでいます」と書かれていました。

本当に私たちはいくつになっても昔考えていた「大人」にはなかなか成ることができませんね!

でもいくつになっても慣れないでいること、 季節の移ろいを心で受け止めてしまうようなナイーブさは 読書の喜びを知る者には 欠かせないものだと思います。

本を読むことは 自分の物語りを捜すことだと 翻訳家の清水真砂子さんがおっしゃっていました。

その言葉に励まされ、私たちはこどものような感受性を持つことを許されて今日も本を読み 明日も本を読むのだと思います。

心から感動した物語りは、 真実の体験と言っていいですよね!

・・かくいう私も 近頃読書らしい読書ができません。なにやらモヤモヤして集中力に欠けるのは、やはり季節のせいかしらねー?
Posted by めぐりん at 2007年11月26日 20:32
ぎゃー 
携帯でコメント打ってたら やっぱり途中で切れてしまいました。ごめんなさい。

改めてコメントさせていただきます。

先日幼なじみから手紙がきました。手紙には「四十にもなればもっと図太くなると思っていたのに 相変わらず些細なことにくよくよし 中学生のように人間関係に悩んでいます」と書かれていました。

本当に私たちはいくつになっても昔考えていた「大人」にはなかなか成ることができませんね!

でもいくつになっても慣れないでいること、 季節の移ろいを心で受け止めてしまうようなナイーブさは 読書の喜びを知っている者には 欠かせないものだと思います。

本を読むことは 自分の物語りを探すことだと翻訳家の清水真砂子さんはおっしゃいました。

その言葉に励まされ こどものような感受性を持つことを許された私たちは今日も本を読み 明日も本を読むのだと思います。

心から感動した物語は真実の経験と言っていいですよね!

かくいう私もこのところフワフワとなんだか地に足がつまない状態。本に集中することもできません。めっきる読書量が減りました。新しいものを手にとることができないのです。

これも季節のせいにしてしまおうかしらー。
Posted by めぐりん at 2007年11月26日 20:56
・・・・・

すみません

なんか おかしなことに・・・

kmyさんのたいせつなブログに みっつもへんなコメントが・・・・

申し訳ありません 久しぶりでまいあがっちゃったみたい?

お許しください。
Posted by めぐりん at 2007年11月26日 21:01
めぐりんさん
コメントありがとうございます〜♪
大人になるというというのはとても素晴らしく肯定的なものだと思っていましたが、年とともに失われるもの、うまく取り込めないものが出てきます。
中学生だから悩むというのではなく、別種類の悩みや不安でまた満たされるように感じます。不安の倉庫はなかなかストックが減らないどころか、倉庫も大きくなってしまうようです。

新しいものに対しての挑戦に躊躇してしまいます。季節がら、かもしれないのですが。
めぐりんさんも体調がすぐれないご様子の記事がありましたが、11月はこういう症状が多くなるらしいです。

自分が取り込んでいく物語、シェクリーの「記憶売り」に通じますね。ある物語を読むと自分の中でぴったり収まったりなじんだりして、そういうものに出会えたときって本当に気持ちが落ち着きます。
すっかり慣れ切ってしまわないことも大事なのでしょうね。
Posted by kmy at 2007年11月27日 13:12
同じことを何回経験しても免疫なんて出来ないし、
生きることにはいつまで経っても慣れないなぁ、と
よく考えたりします。

でも、それって、みんな、同じなんですね。
どんな状況にいる人も。いくつになっても。

慣れなくていい、それでもいい。それでいい。

何となく、そんな風に思えました。
ありがとうございました♪kmyさん
Posted by みずき at 2007年12月03日 20:21
みずきさん♪
むしろ、若いうちのほうがいろいろなことに慣れることができるのかも、などと思います。
だんだんとあわせていくのが難しくなること、いろいろあります。
同じことを何度したからといっても、うまくなれないでいるし、慣れるのがむずかしい状況もある、そんな感じですごしています。
慣れなくても「それでも生きていく」ということをよく思います。
こんな状況だけど、生きているなあという小説が結構好きです。だけども生きてく、みんなそうなのかなあ、と思ったりします。
コメントありがとうございました★
Posted by kmy at 2007年12月04日 14:47
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。