2007年10月12日

『七人の使者』

 引き続きブッツァーティ短編集『七人の使者』。これはこれは、と引き込まれていく短編ばかりでした。人間はこの地上を制覇していると思っている。昔は限りなく遠かった場所もあっという間についてしまい、未踏の地などない、そんなことをふと思う現代に生きる人間。でも、でもなのです。その感覚はある種の驕りなのかも、その果てというのはどこにあるのか、本当にあるのか――進む時間と空間によって、その感覚のあやふやさ、まだ先にあるのかもしれない、ないのかもしれない、その不確定さへの不安を呼ぶ、奇妙な感覚の短編集です。
430920144X七人の使者
脇 功
河出書房新社 1990-06

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 ある場所を目指して進むが、時間はどんどん経っていく、だけでも目的地というのはいったいどこに、あるいは行き着いた先には何があるのか? そういった物語群がいくつかあります。日々時間とともに生きている、その行き着く先への不安感、到達するとはどこへなのか、という寓意的な物語だと感じました。(『七人の使者』『なにかが起こった』『道路開通式』『急行列車』)人間が持つ意識・感覚は遠くまで見据えて、それに向かっていくものの、その先に待つものに対する不安、不確定という感覚。しかし、どの物語もその不安感を増していく状況でありながら、状況を停止させることはしないというのが面白いところです、とにかく向かっていく、向かっていくしかないという状況。たとえ停止してもそれが何になる、という無常感も感じます。このまま突き進むしかないのだ。それでも進むのだ、という時間の流れは人が生きていることそのもののようにも感じます。

作品リストメモ
「七人の使者」
「大護送隊襲撃」
「七階」
「それでも戸をたたく」
「マント」
「竜退治」
この物語は残ります。人間は万能だ、世界を支配している、人間のすることは正しい、そういうものが吹っ飛ぶような感じ。不吉という言葉が似合う物語。「不吉」なことをしている、起こる、迷信とは違う、その人間の不気味さの行き着く先が「不吉」という感じがします。
「Lで始まるもの」
「水滴」
じゃあ、実際に見に行ったら何がある?といわれれば何もないかもしれないし、自分がじっと待っていてもそれは起こらないかもしれない。ただ、それを待っている焦燥感、実際にあったらと思う不安、あったからといっても何が手立てがあるわけでも害があるわけでもないという不可解な感じ、そういうものがときにあります。
「神を見た犬」
「なにかが起こった」
いったい「なに」が起こったのはわからない。ただ、「なにかが起こった」。それが怖い。
「山崩れ」
「円盤が舞い下りた」
「道路開通式」
これはお気に入り。たぶん到達し得ない町、存在すら怪しいその町。だけどひたすら向かう。向かうしかない。
「急行列車」
「聖者たち」
「自動車のペスト」


posted by kmy at 10:05| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリア&フランス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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