ペレーヴィンはロシアの村上春樹と言われることがあるそうですが、わたしはあまり村上春樹っぽい印象は受けませんでした。少し不思議な世界と現実が入り混じる感じはありますが、村上春樹の方が感覚でわかるのは日本人だからでしょうか。ロシアに疎いので『写真でたどるロシアの文化と歴史』という本を借りてきて読みながら眺めましたが。
![]() | 写真でたどるロシアの文化と歴史 (「知」のビジュアル百科 32) キャスリーン・バートン・ミューレル あすなろ書房 2007-01 by G-Tools |
でも、なぜか村上春樹の小説が読みたくなりました。まず読んだのが『東京奇譚集』。『東京』は文庫が出るまで待とうかと思っていたのですが、装丁がきれいだったのでついついハードカバーを買ってしまいました(ハードカバーは持ち歩けないからあまり好きじゃないのだけど)。というわけで、初めてこの短編集を読みましたが、内容はまずまず、もう一度無性に読みたいとはあまり思いませんでした。主人公が村上春樹の小説によくある「ぼく」ではない感じ、ぼくが介在していない感じがあまり好きではないです。いくつかの好きな小説は主人公が生きている状況は自分とはまったく似ていないのに、どこかつながりを感じるような感覚を抱きます(『東京奇譚集』はどこかひとごとに感じた)。
『東京』は今ひとつだったので、急にまた読みたくなった『TVピープル』は「眠り」が好きです。ペレーヴィンの『眠れ』というタイトルがなんとなく連想されたのかもしれません。「眠れ」は眠っている話、「眠り」は眠れない話なので180度方向は違うはずですが、眠ることについて、眠らないことについて、現実と眠りとの関係について興味があるので、こういうい「眠ること」のテーマが好きなのです。
「眠り」はラストのどうなっちゃったかわからない現実的な怖さが身にしみます。こらが凄く怖い。ホラーではないし、感覚として怖い。まあ、それは置いておいて、本題は「眠り」で主人公「わたし」はトルストイの『アンナ・カレーニナ』を熱心に読むのですが、わたしは読んだことがないということです。
トルストイに限らず、村上春樹の小説には名作文学の範疇に入る小説が何度も登場します。バルザックとかドストエフスキーとか、さりげなく『純粋理性批判』を読んだり、ボルヘスやガルシア・マルケス、カフカに夏目漱石、ツルゲーネフ……たぶん数え上げればかなり多くなるでしょう。が、しかし、わたし自身、きちんと最後まで読んだ文学はこうして村上小説を読んでいるとかなり少ない。『純粋理性批判』(岩波文庫)がブックオフにあったので読もうかどうか、と手にとりつつ、中身をめくっただけで挫折しました。こういうものをさりげなく読んでいるのが凄く素敵に感じます。あーあ、今まで何で読まなかったんだろう?と思いつつ今度こそは!と思って何回目? 有名だけど読んだことがない文学作品が多い、多すぎるので、毎年今年こそは読むぞと思ってはいるのですが。
でも、実際に読んでみて「響く」かどうか非常に気になる。読んでみたけどよくわからなかった、理解できなかったとしたら――。それでもダメでもともと。じっくり読むこと、実は難しいのかもしれない。あらすじだけ読んで内容がわかればいい、というものでもないと思っています。特に今まで無縁だったロシアものを今年は読もうと、人生何回目かの文学的読書決意をしたこのごろでした。
せっかくなので、新訳で出ている(新訳って言われると新鮮な気分で、挫折した岩波と新潮を尻目に光文社古典文庫から入ろうかと思っています。
![]() | TVピープル (文春文庫) 村上 春樹 文藝春秋 1993-05 by G-Tools |
![]() | 東京奇譚集 (新潮文庫 む 5-26) 村上 春樹 新潮社 2007-11 by G-Tools |
名作と言われるものほど敬遠していたように思います。
それでも、ロングセラーは普遍的な価値があるものなのですよね。
とわかってはいても、読むのはなかなか難しいものです。
それこそダールの本を読んでいても古典を読んでると何倍も面白くなるだろうな、と思うことが多いですよねえ。
あー、物理的に時間がもっとほしいです。
あら、ヤヤーさんとはどことなく似たもの同士かもしれませんね(笑)
でもね、ヤヤーさんの以前の記事でゴーゴリ『外套』が出ていたのはよく覚えています。これ、読んだことがないのですが、ペレーヴィンとゴーゴリ、あとがきで言及されていたので読むつもりでいます。『外套』は読むぞ、と。ヤヤーさんが読んでるならって。
古典的名作って読むのにかなり時間かかるのですよね。今年こそ、ドストエフスキーと思いながら、アマゾンで頼んだのはペレーヴィンの新作です。
文庫は近くでも買えるし、図書館にもあったし…というわたしは目標を達成できるだろうか、やや不安です。
同じですね。
現代のベストセラーを書く人の印象に残っているからこそ名前がでるんだろうなぁとは思うし。
読んでみれば、きっと「響く」理由も
あるんだろうとは思うのですが、なかなか・・ね。
きっと、こういう作品は無理にでも最後まで
読めば、絶対に実になる物があるはず。
・・そう分かってはいるんだけど、なかなかきっかけが掴めません(苦笑)。
本には「読み時」というか、これは読みたいと思わせる時期がありますよね。
それがうまく噛み合わないとやっぱり読めなくて。
何度も挫折しています。結局やっぱり読もうかというときには本を売った後だったりして。
きっかけは大事だと思います。そのときと本がうまく合わないとなかなか自分には響かないと思います。
『指輪物語』はわたしにとってはみずきさんがきっかけでした。長年挫折していたけど、読んで見るととても面白く、考えさせられる部分がいくつもあります。(『シルマリル』挫折中ですが)
ある本に出てくるからというきっかけでロシアものに挑戦したいと思っています。
(でも、真剣に読むと時間はかなりかかるんですよね)