2007年03月15日

『まぼろしブタの調査 〈社会科〉Kノート』

 最近凝って読み耽っています、佐野美津男氏の本。古いし少々マニアック?なので、興味をそそられる方が少ないのではないかと思いますが、たまにはこういう本の情報もネットにあると便利かもという勝手な思惑を持って記事を書いています。

 今、流通しているものは少ないので、図書館頼みですが、近くの図書館にないので借り受けてもらうことしばしば。これ、タイトルがわくわくするでしょう?(わたしだけ?) 「まぼろしブタ」って何?って。ブタだけに食べるのかと思ったら全然違いました。


佐野 美津男, 山口 みねやす / サンリード(1983/08)
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 作者自身が「はじめに」で語っています。
 子どもだって、むずかしいことを考えるときがある。
 子どもだからこそ、むずかしいことを考えるのかもしれない。
(中略)
 神さまはいるか、いないか、これはむずかしいもんだいである。むずかしいもんだいだから、わたしはこの童話を書いた。
(本文P3)

 佐野氏は「神さまはいるかどうか」ということについて真剣に考えていると思います。曖昧模糊とした言葉で済ましたり、遠いイメージのものとして書くのではないところがまた面白いのです。考えても大人だって結論がでないかもしれない。子どものような考え方をもって見つめてみたらどうだろう? そんな感じで子どもたちが神さまについて考えてみたお話がこれなのでしょう。

 て、ここで出てくるまぼろしブタの正体は――。

 まぼろしブタは「神さま(ネタばれ:反転してください)」だと言うのです。

 この物語が面白いのは「(一部の)大人が見えているのに、子どもはどうしても見えない」というまぼろしブタの存在です。同じ屋根の下で暮らすナカトミ一家のお父さんとお母さんにはまぼろしブタが見えますが、子どもたちには見えないのです。そのまぼろしブタを調査するアグリとワタル、ナカトミくんと妹のマサヨという4人組。どうにかその正体を探りたいというので結成したまぼろしブタ調査委員会。ナカトミ氏への聞き取り調査によると、「信じる人間には見えるが、信じないなら見えない」というのです。主人公のワタルは家の人にもいろいろ聞いてみます。さらっと流す母親と取り合わない中学生の兄に比べて、父親は真剣に考えてくれているようです。こういう側面を見ていると、よくわからないものについてあいまいな態度をとる大人よりも、真剣に扱う大人が頼もしく大きく見える気がします。

 佐野美津男氏のお話はときにシュールで、ありえないでしょう?と思わせながらも、読み終わったあとに唸らせます。
 これでまぼろしブタのもんだいはおわったけど、ぼくたちが、いろいろなことを考えたり、しらべたりすることはおわらない。きっと、もっと、いろんなことがあるはずだ。
(本文 P89)

 子どものころは不思議なことがあった。気になることがあった。大人になればわかるのかと思えば、そうではないこともある。ずっと考えていかなくては、解決しない問題がいろいろあるけども、大人になるとだんだんとそういうことを考えなくなってくる。子どものときに考えてみることというのは、大事なことだというメッセージがこめられているような気がします。自分たちで考える。大人が考えないことを考える。これは子どもだからできることなのかもしれません。まぼろしブタの存在は斬新ですよ!

 佐野美津男の本は「忘れられないインパクト」を持つ本としてたびたび「本の探偵」で聞かれるようです。
Q1960年代の「にいちゃん根性」
Qある朝、家の周りが大海原に…
posted by kmy at 15:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 佐野美津男 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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