2007年02月17日

『ぼくが恐竜だったころ』

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三田村 信行, 佐々木 マキ / ほるぷ出版
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Amazonおすすめ度:



 奇妙な短編を多く書いている三田村氏ですが、こちらは長編。400ページ以上あるので読み応えたっぷり。SF、ミステリー、そしてちょっぴりラブストーリーでもあり。タイトルの通り「ぼくが恐竜になる」ということを通して、人間という生き物をシニカルに描き出す物語。

 ぼくこと水上誠也は「よみがえる恐竜展」で古生物学者大矢野博士と知り合います。そこで、「本物の恐竜が見たくないか」と言われ、博士の研究所に。そこにあったものは――。
(この先ネタばれ感想なので、未読の場合はご注意を)

 博士は自分の理論を積み上げて到達した恐竜の絶滅の自説を証明するために、タイムマシンを作り上げました。さらに、自分の体が恐竜に変わる「恐竜変身剤」も作りだし、誠也に恐竜絶滅の瞬間を見届けて欲しいと頼みます。なかなか荒唐無稽ともいえる設定なのですが、タイムマシンに乗って誠也は6500万年前の世界でテスケロサウルスとして過ごします。テスケロサウルスの仲間と知り合い、獰猛な肉食恐竜との戦いを経験し、いったん現代に戻ってみると、大矢野博士を狙う者に出会い、それを振り払ってまた太古の世界へ恐竜として戻るのですが、物語が進むにつれて、大矢野博士を狙う人間の目的、大矢野博士の思惑、そして、気になるティラノサウルスのガドンの存在に目が行きます。

 〜詳しく感想〜
きみの頭には会社のことしかなかった。すべては会社のため。学問や研究よりも会社の利益を優先した。タイムマシンを完成させていかに会社をも的うけさせるか、そしてその功績を自分の出世のたねにする――きみが考えていたのはそれだけだった。そのためにわしを利用した。
本文P276より

 恐竜のテーマパークに本物の恐竜を入れたいという思惑を持つドリームワールドの人間たちには利益主義的な面を感じるのは当然のことです。大矢野博士を利用する、恐竜を利用する、そして利益。何かを利用することで自分自身の目的を果たす。ドリームワールドの思惑通りにはさせない、と読者が思うのは当然ではあります。
 しかし、そうは言っても現代資本主義の中で暮らしているわたしたちは、時としてそういう波に飲まれて暮らしているわけです。物語として見せ付けられたときに、あまり気持ちいいものではありません。人間は人間のためなら何でも利用するという意識が見えます。わたしは動物園にもある種そういう感じを抱くことがあります。勝手につれてこられた動物たち、人間の好奇の対象のためだけに存在している、そんな気がしてしまうことがあります。

会社の金で完成させることができたのだから、装置は当然ドリームワールドのものになる。あなたはそれががまんできなかった。あなたは発明の名誉も、装置も、それを自由に扱う権利も、学説を証明して得られる名声も、すべて一人占めにしたかったのだ。
(本文P276〜277)

 しかし、一方で純粋に学問的な興味からタイムマシンを作り上げ、その絶滅の瞬間を見届けたいという大矢野博士にも疑問を感じるように物語は進みます。儲け主義の手段として利用させるのは嫌だと思いながら、利用できる環境は利用した上で逃げてしまう。さらに、博士は自分の研究のためなら犠牲も厭わない。人間自体も軽んじて扱っていることを感じ取ります。結局現代には戻れなかった少年たち。それも研究のための手段に過ぎなかったということで、純粋な学問的見地で行うことについても疑問を抱きます。学問のためなら何でも(人間でも)利用可能なものは利用手段として使い捨てという姿勢を感じて、嫌悪感を抱きます。

 考えてみれば、ぼくも大矢野博士と同じだったようだ。なんだかんだいっても、結局ミナを一人占めすることしか考えていなかった。ミナをこっちに連れ帰るについても、ミナの気持ちなど考えもしなかった。
(本文P378)

 誠也自身も反省を促されます。自分は相手によかれと思ってしたことなのに、考えてみると自分のために動いていたことに気づくシーン。利益社会 → 学問研究 → 個人と問題は降りてきて、一人一人の身にしんみりと染みとおるような思いを感じます。気づいていなかっただけで、自分も同じだった、他人を手段として扱っていただけなのかもしれない。そう気がついたときに切ない気持ちになります。相手のためだと思っていたのに、相手のためには全然なっていなかった。むしろ、自己満足のために動いていたのだった。特に「好きな子」のためを思っていたはずだったのに。ここで誠也だけは違います。自分のためではなく好きな子(テスケロサウルスのミナ)のために動こうと思い立つのです。反省したあと、行動に出れるか出れないかというのは大きいと思います。

 プロローグとエピローグとして、主人公誠也が「恐竜だったころ」を思い出すような形で物語が構成されているのが憎い演出です。このようになっているからこそ、ミステリー仕立ての雰囲気が生きています。新聞記事の内容について推理しながら読んでいくのも面白いです。
posted by kmy at 19:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 三田村信行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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