2012年07月20日

『約束された場所で―underground 2 』



 オウム事件の指名手配者が全員逮捕されたこともあって、この本を読んでいなかったことを思い出した。当時、オウム信者であったり、元信者であった方々のインタビュー集。

 オウム真理教という宗教体系の中に身を投じることによって、各々がどういった生活をし、どんな考え方をし、そして一連の事件についてどう思うかということを中心に語られている。恐ろしい無差別殺人の片棒を担いでいたというイメージとは異なる印象を受けた。よく、マインドコントロールと言われるが、自らのその世界に入って行き、強制的に思想を植えつけるというよりも、思想を「求めて」いたという印象を抱いた。これは、もしかしたら、わたしでも惹かれて入ってしまったかもしれない……と思うところもあり、信者とは何なのか、どうして自ら信者になったのか、疑問を抱かなかったのかと、いろいろ考えてしまった。

 著者や河合隼雄氏との対談を読むと、その信者のイメージがよくわかった。真摯に物事を考え、現世的利益を追求することが果たしてよいことなのかと疑問を抱く人。何か現実とはなじめないでいる人。そういう人々が「人間とは何か」「本当の幸せとは何か」など、さまざまな現実的疑問を解決してくれる存在として、この現実の生活にうまくなじめない人々の受け皿として、オウム真理教が存在していた。ただ、そのシステムのあり方は、結局のところ無差別殺人に行き着く教義を孕んでいるものだったという。この、現実に疑問を抱きながら、うまく折り合えない人々が、オウムに全て身をゆだねてしまうことにより、自発的な思考を失ってしまう。その中にいれば全て正しい、苦行であろうと、過酷な労働であろうと、そして殺人であっても、それを受け入れてこそ真の解脱があるという考えであれば、内部で行われていることは全て正しい。その思考に支配されてしまう。(しかし、相当の苦悩を感じ、疑問を抱いた人ももちろんいたけども)

 他者に自分を委ねてしまうということは、偽の幸福感を抱くように感じた。自分が何をすべきか、自身の生き方は正しいか、日々悩み、不安になりながらも生きている。他者にこの悩みや不安も委ねてしまい、あなたのやっていることは全て正しい、これをやればよい、これをやれば真の幸福(世俗的なものを超えたもの)が待っていると思えてしまうからこそ、宗教に身をゆだねてしまうのだと感じた。

 この出家した人々の話を読んでいると、それほど遠い世界だとは思えなかった。ひょっとして、そういう機会があったら、もしかしたら入り込んでしまったかもしれない、と思えるところがある。わたし自身、仏教思想の考え方については昔から興味があり、説話も好きだったので、そういう「教義」を肯定的に受け止めてしまうかもしれない、と思えるところがある。「人間は自分が信じたいことを喜んで信じる」(カエサル)ということばを思い出した。

 最後の収録されている河合氏との対談も、非常に面白く読んだ。「悪」について非常にわかりやすく解説されている。善と悪というものの区分はとても難しいもの。悪はシステムとして存在する。ある人々にとって「善きこと」を突き詰めた結果が、時として悪になる。これは非常に難しいと感じる問題。そして、物語の持つ力についても触れ、ネガティブなところから出てくるのが物語、というのも分かる。抱えている問題、疑問、不安、恐怖……そこから物語は始まるように思えるし、それがあるからこそ、物語に深みがあり、物語が力を持つ、とも感じる。そのオウムの描いた物語の「悪」はオウムの外に向けられ、それがサリン事件につながっていくという解釈にも頷けた。

 オウムの事件そのものより、なぜか自分自身の向き合い方のようなものに考えが巡っていく本だった。


posted by kmy at 19:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 村上春樹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
宗教について考えると、自己を見つめることになりますね。
そして、それほど苦しいこともないんですよね。
現実からの逃避であり、依って立つところを求めてしまうのは
それだけ不安を抱えて生きているということ。

かく言うわたしも「幸福の科学」にはハマりそうになりましたねー。
いまは亡き景山民夫に原田真二、好きな有名人がいたということもありますが、
あのころ保険会社の営業に疲れていましたから。
飛び込みで入ったお宅がたまたま「幸福の科学」を信仰していて、
逆に真剣に話をされてしまいました。
踏みとどまったのは、じぶんの家の仏さまのほうがたいせつだから。
実家は神道で、とてもそれを捨てる気にはなれなかったこと。
両方信じるなんて、うまくできそうになかったこと…。
こころが弱くなっているときには、助けてくれる何かを必要以上に求めてしまうのでしょうね。

ともあれ、これははげしく興味が湧く本です。
オウムに限らず、信仰を持つということはどういうことなのか、少しでも解ることが出来たら、と思います。
Posted by ヤヤー at 2012年07月27日 22:57
ヤヤーさん
宗教というのは、とても悪いものではなく、ヤヤーさんのコメントのように、「自己を見つめる」というのに通じていると思います。
自分がどういう生き方をするか、自分とは何なのかを考えること、と感じます。

オウムの広告が載っていたというオカルト雑誌、買ったことがあります(広告はまったく覚えていませんが)。当時はそういう神秘的なものが流行っていました。悩んだり、不安になったり、そんなときに助けとなるのか、それともつけ込まれるのか、微妙なところがあるものです。

幸福の科学、一時期大変話題になりましたね。詳しい思想等は知らないのですが、入信している方は、きっとこの本に出てくるようにまじめに人生を考えている方なのでは、と思いました。決しておかしな、狂信的な人たちではない、というのを感じる、面白い本でした。新聞などで読む、事件に概要や、被害の大きさなどとは視点が違って、自分だったら、というように、宗教と事件とをひきつけて考える本でした!
Posted by kmy at 2012年07月28日 08:50
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