2006年10月19日

『料理人』ハリー・クレッシング

cook.jpg

『料理人』ハリー・クレッシング作 一ノ瀬直二訳 早川書房文庫

表紙画像はハヤカワ・オンラインより許可を得て掲載させていただきました。
『料理人』 ハリー・クレッシング(amazon.co.jpで詳しく見る)

 どこかのブログで紹介されていた本をクリックしたらアマゾンに飛びました。その本と一緒に「この商品を買った人はこんな商品も買っています」として出てきた本がこの『料理人』。不気味な表紙に惹かれて読み始めると――続きはおおよそわかっているのに、この表紙に描かれた主人公コンラッドとはいったい何を考え、何を行っていたのか、読み終えると同時にまた表紙を開いてしまう本でした。ちなみにこの本が「この商品を買った人はこんな商品も買っています」として表示した元の本はなんだったのか全然思い出せません。すばらしい料理のように、もう一度味わいたくなる味わいの本です。

 とある田舎町コブ。町の創設者コブ一族の末裔ヒル家とヴァイル家が支配する町。そのヒル家にやってきたコック、コンラッド。コンラッドの作る料理はどれもすばらしく、その味わいにヒル家は虜になっていく。太っていたものは痩せ始め、痩せていたものは太っていくその料理。コンラッドが訪れる場所は賑わい、そして町の人々をもコンラッドは引きつけていく。最後まで一気に読ませます。
(この後筋に触れます)

 読み終わって、コンラッドがコブに来たときはどうだったのか、と気になり最初に戻りました。ヒル家とヴァイル家の結婚が実現したときに居住可能となるコブ家の象徴プロミネンス城を見つめるコンラッドは、コブに来たときは財産を使い切っていたといいます。しかし、これまで働いたことはないが、20人分の料理を作ることはたやすく、さらにシティと呼ばれる大都会の名士からの推薦状も携えていた。コブ以前のコンラッドのことはほとんどわかりません。その料理は病めるものを健康にすることができ、おそらく健康なものを病めるものへと変えることもできるらしい、味だけでなく肉体をも支配することができる料理なのです。コンラッド自身は強靭な肉体を持ち、威嚇するような立場をとるかと思えば、見返りを求めずに酒をおごり、数々の情報を聞き出し計画を実行させる類まれな能力を持っている人物です。あるものは好意を抱き、あるものは慕い、あるものは恐れると、何らかの形でコンラッドにみなひきつけられていくのです。
 この物語を読み終えたときに、結局コンラッドが求めていたものはなんだったのか? ずっと考えていました。コンラッドははじめ雇われコックとしてヒル家に仕えているのですが、そのうち長男のハロルドが料理に興味を抱き、ヒル氏が酒の調合に興味を示し、ヒル夫人が食器セットに興味を抱きはじめたところで、徐々に立場を逆転させていきます。それまで雇っていた執事、家政婦、メイドを追い出、その役割をいつの間にかヒル一家が受け持つようになっていきます。その指示を出すのはコンラッド。ヒル家に大都会シティから客を招くことに。ヒル氏はこうした高名な人物と近づきになれるとは光栄と思っているようですが、彼らはあくまで「コンラッドの客」として来ているだけなのです。ヒル一家は自身の仕事に熱中するあまり、そのことにも気がつかなくなっています。静かにゆっくりと、しかも好意的に慕われながら家をのっとっていくのです。
 しかしながら、ヒル家の長女エスターはこの「仕事」には参加しません。しないというよりコンラッドがさせなかったというほうが適切でしょう。
 「ヒル家をのっとった」と書きましたが、コンラッドの目的はヒル家の当主になることではなかったと感じます。コンラッドの目的は「食」そのものであり、味、食器、サービス、客、環境をそろえた中での「美食」を追求し実現すること、そしてこれを継続的に「味わう」ことにあったのではないかと感じました。彼が天才的な腕前を発揮し、料理を作ってそのことで他人に喜びを与えるというコックではないのです。彼自身が求める「美食」を実現するために自身が納得いく料理の研究を行い、その料理を作る人間を育て、その料理を給仕する人間を育て、そして最後に環境を手に入れようとする過程の物語なのだと思いました。後半でシティから客を呼ぶところでも、コンラッドたちはだれそれが食べたすばらしい料理だとかいう料理の話をすることがほとんどです。コンラッドが権力欲でヒル家に乗り込んだというのとは違うと思いました。自身の「食」への追求を行うことが結果としてだけ見ればヒル家をのっとったということになるのかもしれません。彼自身は料理をすることが喜びではなく、料理を最高の環境で食すことこそ喜びなのではないかと思います。だからこそ、その最高の環境で出される最高の料理を味わえるようになったコンラッドは、もはや料理人ではなくなったのです。彼は結局自身の手で作り上げた美食に溺れて終わります。
 エスターについて少し。「エスターはすごく美(い)い女だが、だいぶお高くってめったにお目にかかることはないんです」(P31)といわれています。最後にはかなりの巨体になった彼女ですが、コンラッドはある意味彼女を愛しているように思います。料理の添え物ではなく。結婚式では二人とも今までに見たことないような幸せそうな笑顔だったようです。コンラッドはエスターを料理で太らせることで独占したのかもしれません。
 このラストで「料理人」になったのはハロルドでした。彼は雇われて働いているわけではありませんが、宴席の料理何十人分もこなせる能力を身に着けました。
調理場の中央には一つだけ、非常に背の高いスツールが置かれている。これにはシェフ用の大きな帽子をかぶった痩せた男が一日十四時間座っている。(本文P339)

 どことなく最初のコンラッドの印象に近い気がします。もしかして次の「料理人」として現れるのはハロルドかもしれません。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/25750654
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック