2006年06月22日

表現についての雑感

 考えても考えても、わたし自身の中で全然まとまらず、解決もしないことばの問題があります。それは、差別語についてのこと。
 先日、ダールの『チョコレート工場の秘密』を比較したときにも気にかかったことなのですが、ダールの旧訳版(田村隆一訳)のものは差別語が使われているということで気になる方も多いようです。毎月児童書・絵本をとっている書店のお便りに掲載されていました。(ひろはメルヘン2006・7 リンク先は毎号変わるようなので、1ヶ月程度で変わると思います。内容は『父さんギツネバンザイ!』(R.ダール作 田村隆一訳)に差別表現があるということで気にかかるということでした)

 『父さんギツネバンサイ!』は子どものころ読んだだけで、内容は全然覚えていませんが、先日読んだ『いじわる夫婦が消えちゃった』(ページ参照できていなくてすみません)と『チョコレート工場の秘密』には共通には同じような部分があり、どちらの新訳も意味を訳していませんでした。差別表現ということで、意図的に柳瀬氏は意味の訳を避けているようにも感じられます。韻を踏むためだけではないと思います。「音痴」「幼稚」は文脈に全然関連がないように感じられました。(参照:新旧翻訳比較『チョコレート工場の秘密』 ※2 差別表現
 
 田村さんの訳は差別表現が含まれているので、子どもには読ませたくないものという認識もあるようです。わたし自身は子ども時代にこの翻訳で楽しみましたが、この本の表現によって、他者を差別的に見る意識が植え付けられたとは思っていません。使う人の意識の問題であり、テキスト上の使われ方の問題もあると思うのですが(実際、主人公チャーリーやジョーじいさんはワンカさんに対してこれら差別表現を使ったのではないと読み取れます。一緒に来た他の親子が罵っていると読み取れますし、そういうことをいうキャラクターであるともいえる=読み手はこういうことばを持つキャラクターたちに不快感を感じる、と思えるのです)、こういう表現はだめだというので、別の言葉に言い換えて済ますようになっています。実際のダールの文章では使われて普通に英語で出版されていることばなのに、翻訳もしてはいけないというようで、なにか違和感を感じます。

 先の記事でグリムを訳してみたのですが、"schlachten(英語:butcher)"をどう訳すものか?と悩みました。屠「殺」は差別表現だということで、現在は使われない傾向が強くなっているそうです(ちなみにワープロソフトなどでデフォルト設定では変換しないようになっています。しかし『ドイツのアルバム』でも食肉の話題があり、「殺」で訳されていましたので絶対だめということでもないのかもしれません)。代わりに「畜」の字にしてみましたが、これだといいのかどうか、自分でもなんだかわからなくなってきました。自分自身で曖昧にやり過ごしている気もして。意味としては肉にするために殺すことなのですが、現在は「食肉解体」などと言い換えられる傾向があるようです。しかしながら、グリム童話で「食肉解体ごっこをした話」ではかなり変な気がします。使うことが即差別意識の持ち主、あるいは差別をしているとみなされてしまうのでしょうか。見せないようにしていれば正しい意識を植えつけることができるのか、隠すように言い換えてしまえばそれでいいのか、実際に使った場合に誰がどのように感じるのか、考え出すと難しくて答えは出ません。何となくだめらしいから使わない、クレームが来ると困るので使わない、原文にあっても訳さない、文脈がどうあれ、そのことば自体が問題(あってはならないもの。それさえなければよいのだ)である、それだけのように思えてしまいます。しかし、実際にそのことばを目にするだけでも傷つく方もいるのでは、とも考えます。そうなると原文にあるから、というだけでは済まされない気もします。

 『ハリー・ポッターと秘密の部屋』でも66版以降は差別的だと指摘を受けて削除されたことばがありますが、原文にあって日本語にはできないことばというのが、やっぱり当時気になりました。消して「なかったこと」になればそれで丸く収まるのでしょうか……逆に何かのどにつかえてしまうような苦しい気持ちになります。

 新しいシリーズになったダールの作品はこうした「差別表現」はなくなったようです。昔の作品でも「不適切な表現が含まれますが、作者が亡くなったのでそのまま掲載します云々」のようなことが書かれて出版されているものもありますが(確か安房直子コレクション1の「空色のゆりいす」など)、翻訳はだめという風潮があるようにも感じます。
 
 考えても考えても、全然まとまりがつきません。難しいです。重苦しい気分のまま、今日はこのあたりで。

参考になる記事:
あとがき大全(18)
あとがき大全(47)
 金原瑞人氏による翻訳エッセイ。海外作品の原文で使われている単語の訳語についても日本は特にうるさいということです。「屠場」の訳についての話題もあり。
“差別用語”と呼ばないで
差別語と呼ばれることばのについてのトピックス。
「差別語といかに向きあうか」
毎日新聞の記事の転載。
posted by kmy at 15:32| Comment(3) | TrackBack(0) | 児童書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。
 田村さんの翻訳に問題となる表現が多いのは確かです。 この弱点は『いじわる夫婦が夫婦が消えちゃった!』にもあります。一般的にも、さまざまな本で見られる差別表現は、「バカ」とか「きちがい」といった「精神障害者」に対するものが実に多いのが実状です。『おばけ桃の冒険』にも実はそういう表現が十数か所もあって、私は正直多過ぎると思いました。もちろん差別表現というのは多いとか少ないとかいう量の問題では全然ありません。たった一言でも打撃を与えるものだからです。わたしたちは、本を読むときはそれこそ一字一句に全身全霊を傾けなければならないのです。
 最近になって『おばけ桃の冒険』を読んだのですが、差別表現に何度もぶち当たってそのたびに凍り付いてしまいました。とりわけ主人公のジェームズ少年のとっぴな発想に対して、差別語が出てくるのです。これは、ジェームズ君のユニークな発想を病的に捉える発想から来ているのです。とんでもないことを考え出す人を、単に「あの人は変わっている。ユニークだ」とみるのか、「あいつはきちがいだ」というのではぜんぜん違います。差別表現が出てくる状況なり思想そのものが問われるのです。柳瀬さんの新訳では差別表現の箇所はかなり訂正されています。(訂正されているとはいえないところもあります)。
 ダールの原文は読んでいないので詳しいことはわかりません。もし原文に問題があるのであれば、内容を壊さないような翻訳が必要だと思います。
 ダールの作品全体が差別的な内容とは思いませんが、差別表現はとにかく根絶しなければなりません。
 田村訳にも愛着のある者としては、今回のような新シリーズ出版に際してではなくて、田村さんのご存命中のころから、旧シリーズの差別表現の訂正等の努力はすべきであったと思っています。
Posted by koi at 2006年06月22日 18:34
差別表現に関しては、かつて筒井康隆さんが問題提起され、一字断筆宣言までされましたね。
曰く「癲癇」「気違い」「ちび」「デブ」etc.…。
いまでは「障害者」という言葉も「ぼけ」という言葉も遣わないようにさえなっています。
どこで線引きをするかということはとても難しいことだと思います。
例え差別用語だとされていない言葉であっても、それによって傷つき、貶められたと感じるひともいるからです。
時代的な背景も簡単には無視出来ません。たむらさんが訳された頃は、一般的であったのです。弱者が声を上げにくい時代でもあったといわれるかも知れませんが。
いま「ちびくろさんぼ」を問題視しているひとはいらっしゃるでしょうか。あれもマスコミの異常なほどの煽りがあって、どこでも読めなくなってしまったのです(筒井さんもやり玉に挙げられましたね)。

わたしは「きちがい」という言葉に対して肯定的な意味を感じます。
それは、昔でいう「知能の足りないひと」「思いがけない発想をするひと」「紙一重なひと」などを、周囲が温かく見守っていられた時代の言葉であると解釈しているからです。
いま、そのようなひとが自分のそばにいるとしたら、どれだけのひとが手助けするでしょうか。そして、存在を認めた上で見て見ぬ振りをしてあげることが出来るでしょうか。
差別用語は読んだひとがそうだと感じるから差別用語足りうるのではないでしょうか。
差別しないことと差別用語を遣わないことは、必ずしも一致しません。ダールも、田村さんも、人間を愛しているからあのような作品が生まれたのだと思います。
Posted by ヤヤー at 2006年06月22日 21:02
koiさん、コメントありがとうございます。こうした表現の問題は考えていくととても難しいので、なかなかこうとは言い切れない部分があります。田村さんの訳文、とても心に響く部分がいくつもあるのは確かです。表現について、その部分を読めば差別する気持ちを助長するのではないとは思いますが、だからと言って使用するのもどうか、と気になっています。『チョコレート工場』以外の原文をわたしも読んでいませんが、金原瑞人さんのエッセイでは英語ではcrazy、madなどが差別的な意味で使われているけれど、それに対する規制はない、というのも考えさせられました。『おばけ桃』も子どものころ以来で読んでいないので、また手にとってみようと思っているところです(貸し出し中で残念でした)。

ヤヤーさん、ありがとうございます。線引きの難しさ、本当に感じます。これはいいのか、あれはだめなのか、その理由はどうしてなのか。そして、用語としてでなくても傷つくことばはあるわけですし。
「きちがい」といいうことばは、差別的な意味ではない場合もあったとは思うのですが、全てくるめてだめという風潮になってきていますよね……釣り馬鹿はよくて釣りキチはだめとか。言い換えれば問題解決なのか、そのあたりも含めて悩める問題です。すぐに解決するものでもありませんし、今後の出版物などの方向などを見ながら、考えていきたい問題です。
Posted by kmy at 2006年06月23日 15:07
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