2010年11月09日

おもてなし

 今年の山の講の当番は3軒隣のNさん宅でした。こちらには94歳になる元気なおばあさんがいて、そのお嫁さんにあたるNさんとの二人暮らしです。このNさんが作った漬物や煮物をたくさんご馳走していただきました。同じ山の講当番でも、とにかく焦っていたわたしは格が違います。近所の方がお茶に呼ばれてくるのも慣れているというか、年季が違うというか。とにかくいろいろ手作りのものを出していただいたのですが、どれもとてもおいしく、そして自分ではなかなかできないものばかりでした。

 さて、そのお料理というのは、この地でよく食べられている里芋の赤い茎(いわゆるずいき)を甘辛く煮たものを巻いた巻き寿司(やわらかくかんぴょう風の感じ)。同じくずいきの漬物とその汁で漬けただいこん(鮮やかなピンク色に染まり、味は酸味がある)。モロッコいんげんと里芋、にんじん、だいこんなどが入った煮物。柿を入れて漬けたたくわんと茄子漬。かぶの切り漬け(O村特産品として門外不出?の品種らしく、特別に種を分けていただいて栽培したものということだそう。茎は野沢菜のような歯ざわり)。蕨の煮物(春に摘んで塩漬けにしておいたもの)。こんな感じです。

 こちらのNさんは地元のスーパーで惣菜を担当する傍ら、田んぼが2段あり、その下に畑を作っています。更に、坂をのぼった別の場所の畑でもいろいろ栽培しています。今の季節、坂道を通ると土手下のNさんの畑にはキャベツににんじん、だいこん、ねぎ、カリフラワー、白菜など、何種類もの野菜がきれいに並んでいます。ときどき通ると取れたての野菜を頂きますが、その量も半端ではありません。長ねぎ一抱えとか、きゅうり10本とか。子どもが学校帰りにかぼちゃ1個もらってきたこともあります。とにかく野菜は何でも作っていて、お米も作っているのです。頂いた漬物も煮物も野菜は全て自家製。巻き寿司のお米も、中身のずいきも自家栽培のもの。お店で買ったと思う材料は煮物のさつまあげとお寿司の海苔くらいだと思います。それ全てをNさんとと94歳のおばあさんが栽培していると思うと脱帽です。

 もちろん、わたしだって手作りをしますが、その材料の多くは購入したものです。パンの材料なんて小麦粉とか、イーストとか輸入品ばかり。日常食べている料理も、よく考えたらここで取れたものを生かした料理とは言い難いもの。こちらのお宅で漬物やお寿司を頂いていると、本物の地産地消ってこういうことなのかも、と思いました。自分で畑で育てて食べるまでの時間と労力を考えると無駄にできないですよね。保存食の概念も年配の方にとってはまず漬けるなんだろうな、と感じました。その「漬ける」ということが場所と時間が必要なものですが、今、何でも手軽に時間も節約なんていうけども、そうではないことって大事なのかもしれません。結局電気が切れた冷蔵庫より塩漬けのほうがもちますしね。

 それでも今年は豆類の収穫が芳しくなかったそうです。丹波の黒豆を育てたそうですが、来年の種用にする程度しか取れなかったと言っていました。時間かけても食べる分だけ取れないこともある。そういうことを考えずに暮らしているって、実は幸せなのかもと感じたのでした。来年は蕨の塩漬けをしてみようかと思います。
posted by kmy at 19:40| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
Nさんのお料理の献立名を読んでいるだけで、本当に涎が出てきました。美味しそう〜

お姑さんが94歳ならお嫁さんもかなり年配の方だと思われますが、血のつながりのない二人が自分たちの食べる分だけ栽培したり、かつてお姑さんが教え込んだ味をお嫁さんが受け継いで作ってらっしゃる姿を想像しています。
その生活を受け継ぐ人はいないのだろうかと気になるところです。
私の何代か前も、きっとそんな暮らしをしていたでしょうに、まるで伝わっていないので。
Posted by 二尋 at 2010年11月09日 22:26
二尋さん
続けてのコメント、ありがとうございます!
お二人で暮らしていて、まめに畑もやっておられるし、94歳といえども、凄く動かれる方だと思います。2階を寝室にして階段を上り下りして運動しているとおっしゃっていました。
田んぼのほうは親族の方が手伝いに見えるようですが、作った野菜や漬物をお子さん達に送ったりするのも楽しみのようでした。そういうのって、少し前までは当たり前だったかもしれないのに、いつの間にかわたしなんかも漬物なんて浅漬けくらいしかしたことありません。今高齢の方はそういう暮らしをしていますが、どこかで断絶してしまっていますよね……あまり同世代で畑やお漬物している人はこちらでもいない気がします。ちょっと見習えるところは見習いたいと思うこのごろでした。
Posted by kmy at 2010年11月10日 16:05
とてもシンプルに生活されている方たちなのですね。
手に入る範疇でまかない、とことん無駄にしないで使い切る。
理想ではあるけれど、ほど遠い生活をしています。

それに「昔からの料理」というものもたしかに廃れて来ました。
きんぴらやひじきの煮物くらいは作っても、その材料となるとやっぱり買って来なくてはなりません。
ただ、じぶんで作った料理は無駄にしたくないように、じぶんで作った野菜は、同じように無駄にしたくない気持ちが強くなるような気がします。
子どもたちだって、じぶんが育てたものはたとえ嫌いな野菜でも「じぶんで作るとおいしい」とか言って食べちゃいますもんね。

この辺りではこういった講をする町、集落も減って来ました。
お寺の講でも同じで、いまやそういう集まりを持って周り順にごちそうし合ったりということは、時代にそぐわないということなのでしょうね。
たしかに当番になったら面倒なんだけど、なくなるとそれは寂しいような。
Posted by ヤヤー at 2010年11月13日 00:02
ヤヤーさん
材料そのものを育てるという労力は、やはり現代のわたしたちにはなかなか難しいと思います。お休みという概念で動くものではありませんし、出来てみるまでわからないというところがあります。そういうことができるというのは素晴らしいと思いつつ、やはり見習うのも難しいところです。

持ち回りでというのも少なくなっていますよね。年配の方が、「昔はお店もなかったりして、こういうときに集まって食べたりするのがご馳走で楽しみだったけどね。今は何でも買えるし、好きなときに行けるから。だんだん当番も大変になってできないようになってくるしね」と言っていました。この山の講の当番のNさんも「またしばらくは回ってこないけど、またやれたらたいしたもんだし、いつまでできるか」と話していて、こういう習慣もあと何年かで無くなってしまうのではないかな、と思います。面倒でもなくなるとちょっと寂しいものかもしれません。
Posted by kmy at 2010年11月14日 11:54
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