2006年01月19日

『砂の女』を読んでみた

 年末から年明けにかけて『砂の女』を読みました。砂は流れてきませんでしたが、大雪の時期と重なって、その風景や「砂かき」が妙にリアルに感じられました。共時性を感じたというか。しかし、「砂」というもので現わしているものは、逃れられないでいる現実を思わせました。

 昆虫採集にやってきた男。ハンミョウ属の新種を見つけて自分の名前と共に昆虫図鑑に半永久的に保存されることを願っていました。現実の生活を一時離れてその間にひそかな夢を叶えようと思ったのも束の間、砂に沈みかけた村から出ることができなくなるのです。一夜の宿を求め一人暮らしの女の住む砂の穴の中に下ろされたまま、出られなくなります。女が毎日「砂かき」にいそしむ様子を眺め、手伝い、参加しながら、砂穴の外にでる方法を企てていくのですが……。

『砂の女』 安部公房 新潮文庫

 この物語の男、女、そして砂という3つの視点を考えてみると、単に奇妙な話というよりも心的風景のようでもあり、遠い出来事ではなく「ありうる」現実としての比喩のように感じられました。実際に昨年末の大雪の風景と重なりましたが、雪は春になれば終わります。しかしこの物語の地に吹き付ける砂は永遠ともいえるでしょう。絶え間なく流れてくる。そしてそれをかき出すことで生きていく。
 男はもともと属していた現実において教職についていたようですが、教師という仕事、家庭、どちらも滞りなく順調とは言いがたいものでした。生活が困窮しているのではなく、同僚、生徒、妻など、人間関係に耐え難い問題を抱えている状況――そんな中で新種の虫を発見して名を残すことを夢見ましたが、はずみで別の現実へと取り込まれていきます。どうにか脱出しようという試みを計画し、実行していくが、なぜ女は外へ出て行かないのかという疑問も沸き、そしてだんだんと今置かれている現実を理解していきます。
 「どこか別の場所で違う生活をしてみたい」そんなことを思うことがあります。もしかしたらまったく別ものになれるような気がしたりします。しかし、別の世界に飛び込んでみると、どうにか元の現実に戻りたいともがいてみる……でも、その現実に戻ることにどれほどの価値があるのか……砂をかくことをし続けなければ、この現実もやがて消えてしまうかもしれない……ひとつのある現実から逃れた先はまた別の「逃げ出したくなるような」現実が待っているかもしれない。しかし、そこで見出す価値があり、そして、生きていくことはどこかで永遠に「砂かき」をし続けることに似ているのかもしれない、そんなことを思う物語でした。


posted by kmy at 10:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
実はこれはわたしの住んでいるところの砂丘を見て、書かれた作品なのだそうです。
大きな声では言えませんが、未読です(汗

あらすじは知っていますが、案外地元作家や地元をモデルにした本って読んでないですね。

それでも、こうしてブログを通じて知り合った方たちに刺激されて、いままで手つかずだった本にもトライするようになりましたね。
最近は苦手としていた村上春樹さんの本。
新しい翻訳絵本は衝動買いしてしまったのですが(笑)。

やっとイベントも終わったので、少しじっくりと本を読みたいなと思っています。
Posted by ヤヤー at 2006年01月23日 14:56
ヤヤーさん、ありがとうございます。モデルがあったなんて知りませんでした。学生時代?だったか安部公房氏の本はいくつか読んだはずですが、タイトルしか覚えてない〜という情けない記憶です。最近読んだ『飛ぶ男』(遺作)は未完でふしぎな話でしたが・・・・・・。
地元というか、今住んでいる場所にゆかりのある有名な文学者がいますが、教科書の詩しか読んだことありません。人の出会いと本の出会いと似たようなもので、近くにいる(ある)からといってとても好きになるとは限らない気もします。(←読んでいない言い訳、ともいいますが)
Posted by kmy at 2006年01月23日 19:37
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