2008年08月22日

『マノン・レスコー』

 最近、図書館に通わずにいます。買ったきり読んでいないけども、いつか読むつもりという、いわゆる積読本を読んでみる月間にすることにしました。そのなかでもかなり古い積読本が『マノン・レスコー』です。この本は大昔『椿姫』を読んだときに、作中に登場するので、こちらも読んでみようと思いつつ、かれこれ15年?は経っていそうです。もともと古書店で買った本なので、昭和60年発行。古いなあ。買った当時は平成一ケタだったから、今ほどページも茶色くなかったはずだし、新潮文庫の古いものでおなじみのクリーム色のカバーもあったはず。なのに、今取り出してみると、カバーはなくなっているし、表紙が破れている。茶色く焼けたページがさらに古さを感じる。読んでいないのにかなり状態が悪い。古本でこの状態なら買わないけども、15年以上も持っているのだからそれなりに愛着があるので、たぶん、このままずっと持っている、そういう本。

410200601Xマノン・レスコー (新潮文庫)
アベ・プレヴォー
新潮社 2000

by G-Tools


 さて、買ってから初めて読み通したのですが、出会いの場面で主人公マノン16歳、騎士グリュウ17歳。まだ10代だった2人。出会ってすぐにマノンに恋する騎士グリュウ。彼はマノンに出会ってから、現実的な生活をどんどん離れ、借金、賭博、詐欺という生活へ向かっていくのです。この人大丈夫なの?と読んでてかなり気になります。もうマノンのことは忘れなよ、と言って引き戻そうとする友人チベルジュがかなりいい人です。なのに、改心したふりして、またマノンの元に行ってしまうのです。ただ、その貫いた「恋」が本当によかったかも、と思えるのはラスト近くになってからなので(結局悲しい結末なのですが)、それまでは、一人の女に入れ込んでダメになっていく人にしか見えません。

 友人チベルジュ。あれだけ自分の言うことを聞かないグリュウなのに、それでも最後の最後まできちんと「友人」としてみてくれる凄い人。この人は本当に凄いと思いました。簡単には出来ません。もうこんなやつは友達じゃないと思ってもいいくらいでも、絶対に見捨てない。こういう人にはなかなかなれないと思うのです。このチベルジュのおかげで、現実にふと戻ったり、ほっとしたりします。

 マノンはすぐ隣人の金持ちに言い寄られると、心は騎士グリュウにあると言いつつ、そちらに行ってしまうという。それが本当に悪気がないような感じで、あんなにお金持っているんだから、わたしたちのためにもらったって悪くないはずよ、という論理で生きています。マノンは嫌な女という感じはあまりしないのがこの小説の不思議で魅力があるところだと思います。ただ若さから、美しさから、そうしたものを「買い求める」金持ちが存在するなら、お金をもらうのも悪くないでしょう、と単純な感じで悪気なく振舞うのがマノンなのでしょう。だから、誰に対しても嫌なお金だけがすべてという悪女ではないのです。騎士グリュウから絞れるだけ絞ったら捨てるということはしません。騎士グリュウのことは好きなんですよね。マノンの行動は、若い、若さゆえ、そんな印象です。まだまだいろいろなことをしたい、楽しみたい、それを満たす方法であり手段であるのが金持ちのパトロンで、自分の恋はそれとは別なの、と感じさせるのがマノンです。

 この小説は「恋」の小説だと感じました。最後に2人が「恋」から「愛」へ変わり、愛し合いながら共に生活を、というところでの悲劇です。この波乱に満ちた年月の後だからこそ、2人がうまくいく、いきそうだ、となるのでしょう。それだけに、やっと「幸せ」がつかめそうだったところに、思いがけない裏切りは残酷です。それもこれも、これまでのつけなのかもしれませんが、代償は高くついた、という感じでした。フランスでの場面はどれも腹立たしく、アメリカの場面は暖かさが一変して凍りつくような感じでした。

 マノン、悪女という感じではないけども、共感するかといえば、あまりしないです。マノンいいなあ、という印象も薄く、騎士グリュウのひたすら貫き通す想いの強さと、友人チベルジュの寛大さのほうが強くのこります。その後の騎士グリュウはどうなったのかな、と少し気になるのでした。


posted by kmy at 19:34| Comment(2) | TrackBack(0) | イタリア&フランス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この話はずいぶん若い頃読みました。それこそマノンと変わらない頃に。

若い頃はマノンになってみたい気がしました。マノンとか谷崎潤一郎の小説に出てくる女達みたいに男を翻弄して支配してしまう女ってなんだか小気味よくって・・・・

有る程度の年になると翻弄される側に廻ってみたい気がしました。そんなに自分の何もかもを捨ててのめり込める相手がいるなら出会ってみたいと・・・

大人はそれが御伽噺だとわかっているから時々こういう本を紐解いて束の間の夢うつつに浸るのでしょうね。

>フランスでの場面はどれも腹立たしく、アメリカの場面は暖かさが一変して凍りつくような感じでした。

ストーリーの概要だけ覚えていて細かい部分は忘れてしまっているようです。また余裕ができたら読み直してみたいですね。
Posted by ぴぐもん at 2008年09月03日 14:25
ぴぐもんさん
主人公の年齢から離れてしまってから読むと、やはり一定の距離感を感じます。
こういう女性、魅力がありますよね。女性ならなってみたいというか、そういう状況だったら、と思うように感じます。
記事の始めに少し触れましたが、マノンはほったらかしで、『椿姫』のほうが何度も読みました。
ぴぐもんさんのマノンではないですが、わたしがマルグリットを同じくらいに読んで、かなり憧れました。
マノンのほうがまだ一般人というか、マルグリットは完全にお仕事ですよね。
ラストでマノンは変わりましたが、マルグリットとマノンを比較して読むとやはり面白いと思いました。
なんだか、こういう小説を読むと「主人公若い」と思うのですが、16歳とか、17歳でも結構いろいろ考えていたし、それなりに「大人」だったんだろうな、とふと思ったりもしました。
Posted by kmy at 2008年09月04日 12:46
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